co-galleria
なんやよくわからんお題ですが。
先ほどの「みやこリノベーション」に絡みまして。
京都は寺町通りの二条~三条付近にはやたらとギャラリーがあるんですが、
そこでよく有閑ギャラリーとなってるのを見かけたりします。
あとは個展とかやってるけど、あんまり人が入っていないとかね。
個展とかってもう内輪でしか意味がないんかなあ、という。
日本人の保守性とか閉鎖性とかどうのこうの言うつもりはないですけど、
やっぱり気難しそうな画家や写真家がでん、と椅子にすわってるギャラリーって
入りにくいんですよね。あと、面白そうに見えない。
まだ街角で座って似顔絵やポップなイラスト書いてるお兄ちゃんのほうが面白い。
正直言うと、ギャラリーで個展、とかって憧れた時期もありましたが、
アーティスト的な才能とか情熱が欠如してる俺には現在、どうでもよいことになっていて、
それよりも、こういう有閑ギャラリーの使い途を考えるほうが楽しい。
どきどきする。なんか面白いことができないかなあ、と。妄想を膨らませていると。
で、思いついたのが「co-galleria」。造語です。
「co-」は「co-generation」とかの「co-」から来ていて、
まあ分散協調ギャラリーみたいなイメージになるかな、と。
「gallary」にしなかったのはダブりそうだったんで。「galleria」ならダブらなさそうで(笑)。
肝心の中身ですが、
まあ京都市中のギャラリーを分散型ミュージアムとして使えないかな、というところから。
たとえば、ある1週間、有閑になるギャラリーが10店あるとする。
ここで画家10名の展示を行う。各店には画家10名が1点ずつ作品を置く。
そうすると、10店をふらふらと歩くことになる。歩く間に作品を消化できる。
また、1店に画家ひとりは1点しか作品を置けないので、他の画家の作品とのコントラストが明確になる。
コントラストが強ければ、記憶にも定着しやすい。
極端な例でいけばそんなんです。現実味もなんもない話ですが。
ただ、閉じこもっている時代は終わったんだなあ、と、
俺みたいな保守的で閉鎖的でひきこもりな人間でも感じる今日。
自分が変わる前にどうせなら暮らしている街のほうを変えておきたいと思う。
そんなんで、明日もまた妄想をめぐらすのです。